高校2年修学旅行
 2009年度 高校2年修学旅行
2009高校修学旅行 2009高校修学旅行 2009高校修学旅行
2009高校修学旅行 2009高校修学旅行 2009高校修学旅行
2009高校修学旅行 2009高校修学旅行 2009高校修学旅行
2009高校修学旅行 2009高校修学旅行 2009高校修学旅行
  2008年度 高校2年修学旅行

  今回の修学旅行は天候にも恵まれ、とても充実したものになりました。本島では平和学習を中心とした学びの機会を多くもつことができ、生徒たちも戦争の悲惨さをあらためて知ることができたようです。沖縄の人々の苦しみや悲しみを少しでも知ることができ、有意義な時を過ごせたことと思います。また、今年は与論島へも渡ることができました。与論の砂浜は本島と比べて全く別物といえるほど真っ白で、そこに立てただけでも大変な感動を味わうことができました。この光景を生徒達に見せることができて本当によかったです。
 2008年度の修学旅行は、このように大成功のうちに終えることができました。関わっていただいた方々に大変感謝しております、ありがとうございました。

●「平和ってなんだろう?」
 「平和ってなんだろう?」
 ちょっと前の私なら、すぐに「戦争がないこと」と答えた。中学生のとき必死に勉強した漢検の問題集にだって、対義語のページに“戦争⇔平和”と書いてある。広辞苑で調べてみても「戦争がなくて世が安穏であること。」と記されている。私の答えは何も間違ってなんかいない、と思っていた。
 だから修学旅行で平和学習があると知った時も、「おしつけがましい」とか「平和なんてわざわざ学習するものじゃない」と思って全くといっていいほど乗り気じゃなかった。“沖縄への道”を読んだときもよくわからなかったから、沖縄戦を広島・長崎の原爆投下、東京大空襲と同じように太平洋戦争の一つとしてとらえてしまった。
 でも二日間の平和学習を終え、ガイドさんに「平和という言葉の意味は、国によって違う。一人ひとり違う。平和についてよく考えてみてください。」と言われたとき、私たちは大きな課題をもらった。その時は既に“戦争⇔平和”でないことに気づいていた。
 では私の考えを変えたものは一体何だったのか。それは言うまでもなく、二日間にわたる平和学習である。沖縄戦をただ太平洋戦争の一つとしてとらえていては見えてこない真実の部分を知ることができた。
 ひどい悪臭、うめき声、うじがわく、肉片が飛び散る・・・。どれも想像を超えるような場面だったに違いない。親友が死んだ、さっきまで話していた後輩が死んだ・・・。たくさんの人が亡くなっていく中で、人々は“人間らしさ”をなくしていった。
 戦前の間違った教育のせいで、国のために天皇のために多くの人が犠牲になった。そしてわかった「軍隊は住民を守るものではない」という事実。命を大切にしない軍官民共生は、結果十六万人もの住民を死へと追いやった。
 一日目に二人が話してくださったことは、聞いているときはメモで精一杯だったけど、特に印象に残っているのは前述の実体験に基づいたリアリティあふれるお話と、後述の具体的な数字による衝撃的なお話。
 二日目はボランティアのガイドさんがたくさんの話を聞かせてくれた。韓国人慰霊塔では、「朝鮮人軍夫」や「慰安婦」といった教科書では絶対に載っていない言葉を説明してもらった。戦争というだけでショックなのにその裏側に潜む実態にさらにショックを受けた。
 そのあと県立平和祈念資料館、ひめゆり資料館などを見た。最初は「平和学習なんて・・・」と思っていたのに、実際入ってみると「時間が足りない」「もっとゆっくり見たい」という気持ちでいっぱいだった。
 ガイドさんは「ひめゆりだけじゃない」と言っていた。たまたまひめゆり部隊が有名になっただけで、ほかにも多くの少女たちがおなじように手術の手伝いや負傷兵の世話を頑張っていたことを忘れてはならない。
 そして、私が一番“平和”というものを考えさせられ、六十年以上前に起こった“戦争”を見たように感じたのが糸数壕。長い鍾乳洞で、地図を見て想像していたよりずっと広かった。ごつごつしているかと思えばぬかるんでいたり、石灰水がぽたっと落ちてくる中をしばらく歩くと広い空間に出た。そこでは当時、運びこまれた兵士がそこらじゅう横たわり、うめき声を上げていたという。私の脳裏に、一日目に聞いたお話が浮かんだ。真っ暗なガマの中でこみ上げる悪臭やうじ虫がわいた人の体。ガイドさんの話によれば、少女たちはほとんど寝ないで働いていた。
 そこから奥に進むと、井戸の見える場所に出た。そこでセレモニーが行われ、さとうきび畑と讃美歌を歌った。さとうきび畑の前奏が流れたとき、私の目からは自然に涙がこぼれていた。それは多分、ガマで暮らした人たちに同情したわけではなく、さとうきび畑にこめられた本当の意味を理解できたからだと思う。いつもはほとんどの人が歌っていないのに、その日に限ってはほとんどの人が大きな声で歌っていた。
 懐中電灯を消すと、何も見えない暗黒の世界。そこで私たちは黙祷をした。目をつぶりながら、亡くなったたくさんの人たちのことを考えた。天皇のために死ぬことが最高の美徳とされていたのに、「天皇万歳」と叫んで自決した人はほんのわずかだったらしい。多くの人は最期に家族の名前を呼んだ。「家族に会いたい」「家に帰りたい」それら一つ一つの願いは、人々に人間らしさを取り戻させた。
 長い黙祷が終わった。懐中電灯をオンにして、私たちは再び歩き出す。しばらく歩くと先の見えない長い階段が続いていた。誰も口を開かず、ただ黙々と歩き続けた。
 目の前に広がるさとうきび畑、ギラギラ光る太陽とムアムアする空気――ガマを出た瞬間、なぜだかうれしさと懐かしさでいっぱいになった。
 私は、ここまでまじめに平和学習に取り組むなんて思ってもいなかった。だから、今回このような機会を与えてくださった方々に感謝したい。「戦争は必ず原因があって起こる」と力強く語っていたガイドさんの言葉を、忘れてはならない。原因をなくせば、戦争はなくなる。だけど戦争がなくなったとしても、平和とは限らない。
 「平和ってなんだろう?」
 それはきっと、永久に考えていかなければいけない問いだと思う。一言で言い表すことは難しい。だけど今の私ならこう答える。
 「平和とは、全ての人が自分らしく暮らせること」と。

2年I組

2008高校修学旅行 2008高校修学旅行 2008高校修学旅行
2008高校修学旅行 2008高校修学旅行 2008高校修学旅行
2008高校修学旅行 2008高校修学旅行 2008高校修学旅行
2008高校修学旅行 2008高校修学旅行 2008高校修学旅行

●「沖縄を訪れて」
 戦争を起こすのはたしかに人間です。しかし、それ以上に戦争を許さない努力のできるのも私たち人間ではないでしょうか・・・これは平和祈念資料館に展示されている、「むすびの言葉」の一部です。今回の修学旅行で、この言葉の深さを心と身体で感じることができました。
 二日間にわたって行った平和学習。一日目のメインは宮良ルリ先生と、小橋川清弘先生の講演です。実際戦争を体験した方の話しは、とても説得力があり、講演が終わったあとは、頭の中でいろいろな想いがぐるぐると、まわっていて、なんともいえない気持ちになりました。春休みに読んだ沖縄への道で、沖縄戦のある程度は理解していたつもりだったけれど、本当に“つもり”になっていただけだと、このときに思い、自分が恥ずかしくなりました。宮良ルリ先生をはじめ、沖縄戦体験者の方々が事実を語れるまでに、私たちの想像をはるかに超える努力と、さまざまな想いがあったに違いないと感じました。だからこそ、講演を聴く側も、中途半端な気持ちではいけないと思いました。小橋川先生は明るい方で、スライドを使ってわかりやすく、私たちに過去の沖縄と現在の沖縄、そして未来の沖縄について教えてくださりました。お二方の話を聞いて、最初に思ったことは、平和は願うものではなく人が作り出していくものだ、ということです。真の恐ろしさを体験した人は、平和に対する考えがとても厳しいように感じました。それは、平和は願っているだけでは訪れることはないことを知っているからだと思います。私は平成の時代に生まれて学校にも行かせてもらっているし、毎日三食きちんといただくことができ、なにより大切な家族がいます。お二方の講演を聴いていなかったら、私はこれから先、ずっと平和は願うものだと思っていただろうと思います。どこか頭の隅のほうで、平和は願っていれば必ず訪れる、と思っていました。きっと、そういう人は日本にも世界にも、たくさんいると思います。私はそういう人たちに、宮良ルリ先生と小橋川清弘先生から教えていただいたことを伝えて生きたいと思いました。
 二日目も沖縄の空は青く、セミがしきりに鳴いていました。この日は糸数壕の中へ入るということもあってか、朝からみな、落ち着かない様子でした。私はセレモニー班で、平和宣言文を読む担当だったので、壕の中でしっかりと読めるか心配でした。懐中電灯を片手に、いよいよ壕の中へと入っていきました。入り口は、整備されているとはいえ、とても狭かったです。階段ともいえない階段の横には新しく設置されたであろうきれいな、手すりがつけてありました。私はその手すりだけを頼りにし、下へ降りていきました。あとから思ったことだけれど、昔は手すりなんてものはなかったと思うと、恐怖で身体が震えました。中に入るとそこには、入り口からは考えられないほど大きな空間が広がっていました。ガイドの伊波さんを先頭に、奥へ奥へと入っていきました。五分くらい進んだところでセレモニーを行いました。クラスで練習したさとうきび畑と讃美歌を歌い、平和宣言文を読み、お祈りをして、無事に終えることができました。ときどき壕の天井から滴る冷たい水は、壕の中でなくなった兵士とひめゆりの学徒の涙のように思えてなりませんでした。セレモニーを行った場所から五分程度進んだところで、伊波さんの説明がありました。「上を見てごらん。」といわれたので、上に懐中電灯を当てて見てみると、ドラム缶のようなものが天井に埋め込まれていました。伊波さんによると、このドラム缶は壕の中で爆発が起きたときに、上へとふっとび天井へ埋め込まれたものだそうです。これを聞いたときに、私は鳥肌が立ちました。私が今立っている場所で、たくさんの人が殺されたのだと思うと、怖くて怖くてたまりませんでした。壕を出ると、青い空がひろがり、セミの鳴き声が聞こえました。壕の中にいた時間は、ほんの少しの間だったけれど、空の青とセミの鳴き声を忘れてしまっていました。真っ暗闇の中で兵士の叫び声を、毎日聞いていたルリ先生は、慣れっこになってしまった、と語っていました。壕から出て初めて、この話の恐ろしさを知ることができました。私と歳の変わらない女の子が、こんな思いをしたと思うと、本当に戦争が憎くなりました。このあとは、ひめゆり資料館や平和祈念資料館へ行き、引き続き沖縄戦について学びました。
 与論島へも行くことができ、クラスレクも成功し、美しい海で泳ぐこともでき、本当に素敵な体験ができたと思います。最終日に行った首里城は、中三のときに国語の教科書に載っていたことをよく覚えていました。
 空に広がる青と、戦争の傷跡、二つの顔を持っている沖縄を体験することができた私は本当に恵まれていると思います。修学旅行の準備をしてくださった先生方や、旅行会社の方、そして家族に感謝をし、沖縄で学んだ全てのことを心に留めて、私のこれからの人生の糧にしていきたいです。

2年E組
  2007年度 高校2年修学旅行
 
●沖縄での平和学習


1.野戦病院・避難所として使用された鍾乳洞(ガマ)の見学
2.ひめゆり学徒隊の方の講演
3.戦後沖縄基地問題の講演

●与論での活動


1.民宿への宿泊
2.海水浴
3.レクレーション大会


 近年、近辺の公立高等学校も含め多くの高等学校が沖縄への修学旅行を実施しています。
 今回で23回目を迎える本校の沖縄・与論修学旅行はその嚆矢とも言えるものと自負しています。
 “沖縄における平和学習”、“与論島における自然と心の交流”の二つをその柱としています。具体的には以下の項目をその中心に位置づけています。

●沖縄での平和学習
 1班が7月2日、2班が3日、羽田を発ち、観光バスの運転手さんもめったにないというほどの暑さの中、直ちに那覇にある沖縄青年会館に到着し、ひめゆり学徒隊の数少ない生存者の一人である前野喜代さんの講演を聴きました。お年を召しておられ、その声は時に聞き取りにくいこともありましたが、次代を担う若者たちに一生懸命平和の大切さを伝えよういう切実な思いは十分に生徒たちに届いたと確信しました。生徒の平和学習感想文から一部引用します。

 1日目のひめゆり学徒隊だった方の話を聞いたとき、私は衝撃を受けました。その方は一つ一つ思い出したことをかみしめるように感情を込め私達に伝えてくれました。その震えた声がその方が経験なさった戦争のむごさを物語っていました。  「人の死をいたむ気持ちもだんだんなくなっていくと」いう言葉を聞いて、戦争の恐ろしさを象徴するような言葉だと思いました。今、憲法改正のことが問題になっていますが、「犠牲になった人たちの命と涙の結晶が第九条」という言葉を心に留め、これからの平和を作っていきたいと感じました。

 講演後、嘉手納の米軍基地、読谷村と見学し沖縄における米軍の現状を目の当たりにし、ホテルにて夕食後、読谷村で長く基地返還運動にかかわり、村史編纂にも携わられた小橋川清弘氏より沖縄戦および戦後基地問題に関する講演を聴きました。早朝、羽田に集合し、ぎっしりと詰まった強行スケジュールの後にもかかわらず、生徒たちは真剣に聞き入っていました。

  

 心打たれる話がいくつかありました。集団自決のこと、現在までの基地問題、そして平和のあり方について熱く僕たちに諭してくれました。その中でやっぱり平和のあり方についての話は、とても大変なものがありました。小橋川さんの話を通して、平和とは待っていても訪れない、自分たちのほうで築きあげていくものなんだということに気付かされました。

 2日目は南部戦跡見学。その中でも一番重要なのが、糸数壕の見学でした。平和ネットワークのガイドの方々に先導され、各クラスごと戦争中に野戦病院として使用された鍾乳洞(ガマ)に入り、当時の状況を解説していただき、その後で壕内で平和セレモニーを行いました。この体験は生徒たちそれぞれに強烈な思いを残したようです。

  

  壕の中で電気を全て消して黙祷を捧げました。目を開けていても閉じているのと変わらない暗さで自分の腕さえも見えませんでした。私たちは暗ければ電気をつけるのが当たり前だらか電気を消したときの壕の暗さに余計驚いたのだと思いました。壕の中で賛美歌やさとうきび畑を歌い平和宣言をした後に私は壕の中に入る前よりももっと「戦争を起こしてはいけない。沖縄戦でこの壕の中で亡くなった人のためにも二度と戦争を起こしてはいけない」と強く思いました。壕から出た後にまず思ったのは空がこんなにもきれいだったのかということです。壕の出口には緑が茂っていて雲ひとつない青空が広がっていたことに感動しました。青空を見るなんて今の私たちにとっては当たり前のことかもしれないし空、草木がきれいなんて普段思わないけど壕のあの真っ暗な中から出たからこそそう思えたのかと思いました。

 その他、ひめゆり資料館、平和記念資料館、平和の礎、魂魄の塔などの見学を通して、生徒たちは平和への思いを強くしていたことが、感想文から読み取れました。

2007年高2修学旅行 2007年高2修学旅行 2007年高2修学旅行
2007年高2修学旅行 2007年高2修学旅行 2007年高2修学旅行

●与論島
 与論島へは沖縄本島中部の本部から5000tクラスの大型フェリーで約3時間の船旅です。船中では照りつける南国の太陽をものともせず、甲板で夜のクラスレクレーション大会で発表する出し物の練習に余念がありませんでした。与論港に到着すると、村長さんを始めとする村の職員や民宿の方々などが盛大に出迎えのセレモニーを催して下さり、一同感激です。与論島のメインは豊かな自然と細やかな島の人の人情とそしてクラスの親睦です。台風が来ても泳ぐことが可能だと言われる、リーフに守られた大金久海岸での海水浴、日焼け対策のTシャツとサンゴ礁対策の運動靴は欠かせません。また、潮の加減でリーフ内にサンゴの砂の浜(百合が浜)が出現することがあります。幸い今回の修学旅行でも百合が浜が現れかなりの数の生徒が船(有料)で渡り、星砂を手にすることができました。
 夕食は島の中心の海岸で、東シナ海に沈み行く太陽を眺めながらクラスごとに各民宿が腕を振るってのバーベキュー。食べきれないほどボリュームたっぷりでした。食後は、お待ちかねのレクレーション大会です。浜辺に設置された立派な野外ステージで、村役場の職員の方たちが音響や照明を担当してくれています。幕開けは地元のかたがたのエイサーです。みんな大乗りでした。各クラス練習を重ねた出し物が続き、皆大喝采!最後はキャンプファイアー。高校生活の良い思いでの一ページとなったことでしょう。翌日の午前中も海水浴、大いに与論島の大自然の恵みを満喫しました。午後の船出は関係者の方々がみな見送りです。生徒たちは五色のテープを渡され、船上から思い思いにそれぞれの民宿のかたがたに向けてテープを投げました。船が岸を離れるにつれ、テープがぴんと張って、もつれ、切れ、やがて離れてゆきます。そっと涙を拭う姿も見られました。豪華なホテルとは違い、あまりきれいでなかったり、虫がいたりした民宿ですが、生徒たちの心に残った民宿での一夜だったでしょう。

 民宿はボロかったけど、それ以外はもう最高でした。生きていてよかったと思いました。特にレクはとても盛り上がりました。前から昼休みや放課後を使って練習した成果が出たなあと思いました。キャンプファイアーも思わずうっとりしてしまうほどきれいで、それに波の音と星の輝きが加わってさらに楽しさが増しました。・・・大人になってお金がたまったら、またこのメンバーで沖縄に行きたいなと思っています。

 その後沖縄本島に戻り、翌日首里城見学を見学し午後の便にて羽田帰着となり、4泊5日の沖縄・与論修学旅行を終わりました。
 今回の沖縄・与論修学旅行も、生徒たち自身や、多くの方々により様々な準備がなされ無事終了することができました。この修学旅行を通して、生徒たちが一つ成長したなと確信しています。かつて小橋川氏が言われたこと「平和学習だけでなく、沖縄のすばらしいところ(与論を含めて)も大いに見てほしい」を幾分なりとも出来た修学旅行だったのではないかと思っています。

高校2年学年主任 橋本 良司

 

close
OBIRIN Junior and Senior High School. All Rights Reserved.