中学礼拝(宗教改革記念礼拝)

更新日:2019年10月30日

 明日10月31日の宗教改革記念日を前に、本日の中学校礼拝では「宗教改革記念礼拝」を守ることができました。
 奨励では、日本聖書神学校の荒木牧彦教授をお招きし、「マルチンさん、なんでめげなかったの?」と題してお話を伺いました。

 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
(ローマの信徒への手紙3章21節~26節)

 1517年10月31日、現在のドイツのヴィッテンベルグ大学教授であったマルチン・ルターは、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に「95か条の提題」を張り出し、魂の救済を贖宥状(免罪符)など金銭で売買するローマ教皇庁に抗議をしました。この運動は全ヨーロッパに広まり、のちに宗教改革と呼ばれるようになります。
 荒木先生は、中学時代の恩師の「大事には自己を貫け、小事は寛容で足る」ということばを紹介してくださいました。このことばは「大切なことには信念を貫き、些細なことには広い心でいなさい」という意味です。
 私たちは些細なこと・つまらないことに心を砕いて大局を見失いがちですが、宗教改革を成し遂げたマルチン・ルターは、勇気をもって「大事に自己を貫いた」人物だと言えます。
 カトリック教会を破門され、また議会に召喚されても「私の良心は神の言葉の中に捉えられている」「我はここに立つ、他になしあたわず」と、自説を撤回せず信念を貫き通しました。
 どんな苦難や逆境に直面しても、マルチン・ルターがめげなかったのは、神の言葉の中に自分の救いを見出したからにほかなりません。

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